一年間の米国ディズニー勤務と三味線の道【三味線寄稿記事33】
こんにちは、花枝です。
今日は寄稿記事の話です。
今回更新されたninoyaブログの寄稿記事で、アメリカのディズニーワールドで働いたCRプログラムの記事はおしまいです。
今回は一年間のアメリカ生活とディズニー勤務経験から得られたものの話を書きました。
- ディズニーの仕事と三味線がリンクする出来事
- 今回の記事はディズニー勤務で得られたもの
- 三味線の道に海外生活は必要だったのか?
- あのまま海外に出ていなかったらもっと視野が狭い自分だった
- ひとまずninoyaブログの寄稿記事は一旦小休止
- 関連記事
ディズニーの仕事と三味線がリンクする出来事
前回の記事では、ディズニーでの最終勤務日に三味線の演奏をさせていただいた話を書きました。
私の仕事は寿司職人だったのですが、この姿で三味線を弾くことはこれからの人生の中で2度と訪れることはないでしょう。
だからこそ、とても面白く感じたし、貴重な一瞬だったと思います。
今回の記事はディズニー勤務で得られたもの
今回は米国ディズニーで働いた経験から得られたものを書いてみました。
三味線の道に海外生活は必要だったのか?
三味線の演奏家、指導家としての活動の中で
「一年間のアメリカのディズニーでの勤務経験」
は必要だったのでしょうか?
おそらく
「そんな時間があるのなら、日本で技術を磨いたほうがいい」
「仕事は三味線の仕事でないのなら、それは寄り道ではないのか?」
…そのように思われる方も多いと思います。
それらの考えは間違いではありませんし、そのように考え行動する人がいてもいいと思います。
ですが私の人生の中で、アメリカに住んだあの一年間、そしてディズニーワールドで勤務できた一年間がなくしては今の自分はあり得なかったでしょう。
あのまま海外に出ていなかったらもっと視野が狭い自分だった
海外に出て、そしてディズニーで働いたことで得られたもの…
それは記事の中にも書いていますが、一番自分に納得できてわかりやすい表現をするならば
渡米前の自分と渡米後の自分では、渡米後の自分のほうが好き
という一言に尽きます。
これだけでもう、私は一年間をアメリカ生活とディズニー勤務に捧げた価値があると思います。
ひとまずninoyaブログの寄稿記事は一旦小休止
今回の記事で、ninoyaブログの記事はひとまず一旦小休止に入ります。
「三味線ガールは海を渡る」
という素晴らしいタイトルをつけていただき、2016年の7月から連載が始まりました。
今までは全25回の連載に、米国ディズニー勤務の経験8回で書くようにしていました。
特に米国ディズニーの勤務経験の連載分は、2016年の12月にドイツに行っている時に私から提案させていただいたことで、こうして書ききれたこともとても嬉しく思います。
思えば約10ヶ月…これほど長く書かせていただき、本当にninoyaの皆様には感謝しております。
とはいえ、これからもまだちょこちょこ書かせていただくこともあると思いますので、掲載された時にはこちらのブログでも報告しようかと考えています。
関連記事
★記念すべき第一回目の記事
★前回の記事は寿司職人の姿で三味線を演奏した話
★前々回の記事はタレントショーに出演した話