一年前の私来年の今頃港で演奏していると知ったらどんな顔をするだろう
こんにちは、花枝です。
今日はタイトルの通りなのですが…
ちょうど去年の今頃日本に帰国していたので、一年前の自分がこのブログ見たら驚くかもしれないなあ…と思って書いてます。
- 帰国後のことを考えるとちょっと怖かった
- 日本に帰ったらまた息苦しい世界が待っている?
- やりたいことやるって”業”みたいなもんなのかも
- 業との正しい付き合い方を考えた
- 選択肢がないなら自分で選択肢を作ろう
- 自分を受け入れる必要があった
- 今の結果はダメもとの積み重ね
- ちなみにアルカディア寄港時に演奏しました
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帰国後のことを考えるとちょっと怖かった
私は2015年3月から、2016年2月まで、アメリカのフロリダ州にあるウォルト・ディズニー・ワールドで働いていました。
↑その時の備忘録を綴ったブログです。
アメリカのディズニーで一年間働き、帰国が迫った中で私は
「まだ日本に帰りたくないなあ…。」
と思っていました。
それはとっても分かりやすい理由で、アメリカでの生活やディズニーでの仕事が大好きだったからです。
仕事が充実している上に、余暇時間に三味線も教えれていて、演奏でも喜んでもらえている…このままアメリカに住めたらいいな…とか考えていました。
ですが、冷静に考えてみるとそれもそれで大変!
実際アメリカに長く住まれているお弟子さんに話を聞いても
「いや〜先生、こっちもこっちで大変よ!日本がいいわよ!」
と仰っていました。
大変なのは分かっているけど、あともう何年か住めないかな〜?と思って
- グリーンカードのことを調べたり
- 弁護士を通じてグリーンカードを取得した知り合いに話を聞いたり
- 実際永住権が取れたら仕事はあるのか?
…ということを雇用主に聞いたりしていました。(実際、仕事はありました。)
ですが、結局具体的な手立てがないまま帰る時が来てしまい、ニューオーリンズからラスベガス経由で日本に帰りました。
日本に帰ったらまた息苦しい世界が待っている?
「アメリカでの仕事や生活が楽しかったから」
というのが、ポジティブな面での”日本に帰りたくない理由”です。
それに対し、ネガティブな日本に帰りたくなかった理由ももちろんあります。
それは
「日本に帰るとまた伝統芸能の息苦しい世界に戻らなくちゃいけないのか〜!」
ということでした。
日本の伝統芸能の世界…というよりも、いろんな業種に言えることだと思うのですが、日本にはまだまだ保守的な考えが残っています。
もちろん様々な組織があるので一概にこうだとは言えませんが、新しいことを始めようとするとさりげなく上の立場の人から反対されたりすることもあります。
ただ、これに関しては良い面も悪い面もあると思うので、自分を押し殺すことや年長者の意見を大切にすることに意味はない!!!!とは思いません。
私はそんな厳しい伝統芸能の世界でも割と自由にいろいろやっていた方だと思いますし、やらせてもらっていたと思います。
それでも、自分と三味線の程よい距離感のようなものが掴めなくて悩んでいた時期があります。
帰国後は
「こんな息苦しい日本の伝統芸能の世界で、一体どうやったら三味線を長く、そして楽しく続けられるだろう?」
ということを考えていました。
やりたいことやるって”業”みたいなもんなのかも
色々な方からは
「花枝さんは自分のやりたいことがあるから、いいじゃん!恵まれているよ!」
と言われます。
いや、もうそれに関しては反論のしようがなく、まったくその通りだと思います。
三味線という分かりやすい指標があるので、すごく贅沢な悩みのように聞こえるかもしれませんが…。
私も三味線が嫌で嫌でしょうがなかった時期もあります。というより、そんな時期の方が長かったと思います。
「なんで自分はこれしか戦えるものがないんだろう…。」
「こんなことなら適当な大学とか行って大卒という肩書きぐらい取れば良かった…。」
と、思いましたけれど、でも、辞められない。
もうここまでくると三味線ってもしかしたら”自分の業のようなもの”なのかもしれないな…と思います。
意地で続けているわけではないですし、やめたきゃ辞めればいいとも思います。
でも出来ないなって思う。すごく分かりやすい理解を自分の中でするとするなら、”業のようなもの”だと思いました。
嫌な面もあるけれど、いい面もある…それがないと自分が自分でないような気がするし、今日までの自分はそれが創りあげてくれたような…いつでも近くにいたようなもの…
そんなものが、おそらく誰にもあるんだと思います。
それが私の場合三味線だった、三味線だったと気づいたのかもしれません。
業との正しい付き合い方を考えた
自分の”業”と長く楽しく付き合おうと思うと、何よりも大切なのは距離感だと思います。
(自分の”業”と楽しく付き合うって、変な言い方ですけどね…)
私の中に
「三味線を長く続けたい」
という目標のようなものがありました。
それをしようと思うと、頑張り過ぎても長く続かない(実際一度それで潰れていますし)ですが、サボりすぎない程度に自分が飽きない程度に続ける必要があります。
「それをするにはどうしたらいいだろうかな?」
と考えました。
選択肢がないなら自分で選択肢を作ろう
私の出した答えは「演奏と指導だけで三味線に向き合わない」ということでした。
例えば今書いているようにブログで文章に起こすこと、絵を描くこと、三味線を通じて誰かとコミュニケーションをとること…
演奏と指導は大切な三味線人生の柱ですが、それだけだとどうしても自分を追い込んでしまいます。
もっといろいろな選択肢があってもいいし、なければ選択肢を作ってもいい。
長く続ける、楽しく付き合うためには、何よりも「自分が快適かどうか」が最優先だと知ったからです。
もっと平たく言うと、”自分を大切にできる手段”を考えました。
自分を大切にしないと「仕事」も「他人」も大切にできない。
それは仕事に限らず、人生を生きていくためにも必要な心得なのではないかと今は思います。
そして「自分自身で考えて、答えを見つける」ことも大切なこと。
私がやろうとしていることには「答え」がありません。
正しいやり方も存在しません。
それは「自分で考えること」「自分で失敗してもいいから、やってみること」でしか答えを見つけられないし、答えを記していけないんだと思います。
自分を受け入れる必要があった
そうやって自分で納得して三味線の道に進むには、まずやはり自分を受け入れるということも大切な工程の一つだったと思います。
出来ないことを嘆くよりも、出来ることを伸ばしていった方がいい。
そういうシンプルなことを、自分の挑戦や体当たりから学んでいけたと思います。
もちろん、今もその挑戦の途中であることには変わりないのですけれど(^^;
アメリカのディズニーで働いていた経験、いえ、それよりももっと前に出会ったこと、色々な経験や知り合った人、読んだ漫画や本、映画、ドラマ…
その様々な要因や出来事が最終的な結論をこう出してくれました。
「やりたいようにやってみなはれ。誰も見てやしませんし。」
間違いや失敗を恐れて動かない・なにもしないことが一番怖い。
「誰も自分のことなど気にしていないのだ!」
そう考えると、様々な可能性の道が目の前に広がっていくような気がしました。
今の結果はダメもとの積み重ね
帰国後の活動はこのブログにもたまに書いている通りなのですが…
- 三味線教室
- イベントでの三味線演奏
- 海外での三味線演奏
- クルーズの歓迎演奏
- 外国人観光客に三味線を体験の提供
- 教育機関への三味線指導
- 三味線に関しての寄稿
などなど、させてもらっています。
これらの活動のほとんどが「ダメもと」でやってみたことの積み重ね。
ほとんど自分から企画を考えていわゆる広報活動をやった結果です。
もちろん断られることもありましたし、未だに音沙汰ない結果のもあります。一回きりで続かなかったこともあります。
たまたま運がよかったから今幾つか仕事が受けられているだけなのかもしれませんし、いつまで続くか分かりません。
それでも今現在、やっと…やっと楽しく三味線と向き合えているのは、アメリカのディズニーで働くという海外経験を経て、”自分の選択肢に納得”できているからではないのかと思います。
私は今もなお自分の”業”の落とし所を見定めて、あがいている最中なんだと思います。
ちなみにアルカディア寄港時に演奏しました
トップの写真ですが、高知新港にアルカディアが寄港しました。その時に文化交流スペースで演奏させていただきました!
関連記事
★ダイヤモンドプリンセス寄港のときにも演奏しました。
★小学校の指導にも行ったりしています。
★東京へお稽古に行ったり…