ロックな小唄の名人がいて、星野源どころじゃなくなった
先日、youtubeで星野源の「恋」を見ようと思って、youtubeを開くと、何故か検索履歴に平山蘆江先生の名前が残っていた。
検索結果には星野源ではなく、「ぬれてみたさ」という小唄が出てきた。とりあえず星野源は後で見ることにして、「ぬれてみたさ」を見ることにした。
そうするとその動画の前半には、なんと小唄春日流の創設者、流祖春日とよの半生を綴るストーリーが紹介されていた。
春日とよは浅草の芸者で、鶴助というイカす名前の女性だった。
春日流創設者でもある春日とよ、もとい鶴助女史の半生を綴ってみたい。
三味線の腕に優れ、少々変わり者だった鶴助
イギリス人の父を持つ鶴助女史。
彼女は常磐津と清元の名手であり、当時は「変わり種」と言われていたそうだ。その持ち前の三味線の腕前で、東京では一流芸者として周囲から認められていた。
ただ、随分勝手気ままな性格だったそうで、彼女自身が座敷を持つことは叶わなかった。
創業したものの借金で立ちいかなくなり身をくらませる
「そんなら私が店を出せばいいんじゃないかしら?」
と店を出したものの、金勘定の分からないうちに多額の借金を抱え、店をたたみ、瞬く間に身をくらませることになる鶴助女史。
東京の浅草芸者が不憫に思い「なんとかしてあげよう!」と行動を起こすものの、肝心の鶴助女史、依然行方不明。
意外な近場でくすぶってた鶴助女史
浅草の芸者連中が人づてに探すと、意外にも鶴助は近場のアパートに一人くすぶっていた。心配そうに部屋に入ってくる浅草芸者連中に
「よく来たね」
とも
「ありがたう」
とも
「借金はどうなった?」
とも聞かず、開口一番
「うーわ。めっちゃいい曲できたわー。ちょっと聴いてよ、この小唄最高かも!」
と三味線を取り出して、芸者連中を相手に新作小唄を弾く始末。
…なにこの人、かっこ良すぎすぎない?
結局借金もカタをつけさせ、住まいを用意してもらい…
それに輪をかけてのんきなのが、その場にいた芸者連中。
アパートじゃ稽古もままならないだろうからって、借金をなんとかカタをつけて鶴助のために新しい住居まで構えます。
そんな色々と世話を焼いてくれた浅草芸者連中に対し
「ご苦労様」
とか
「ありがたう。」
の一言もなく
「三味線は私の命だかんね。よし、お稽古つけてあげる。みんな誘い合わせていらっしゃいよ。」
…これが春日派の始まりである!!!!!
春日流のはじまり…あまりにも、あまりにもロックすぎて目眩がした。この生き方、内田裕也も真っ青だ。
ちなみに平山蘆江先生とは何の繋がりが…?と思っていたら、「ぬれてみたさ」は作詞が平山蘆江先生で、作曲は流祖春日とよなのだということが分かった。
いやもう、まったく、星野源どころじゃなくなった。
私は春日流じゃないけど、これを聞いて春日流の見方が変わったからね。もちろんReverence的な意味でね!
あ、後でちゃんと星野源「恋」も見ました。いい曲だったわ。