生演奏が持つ力
こんにちは、花枝です。
私は三味線の演奏をするとき、「弾く姿」もとても大切な要素の一つとして考えています。今日はその話。
三味線のCDって色々出ていますけれど、やはりCDには限界があるなあと思います。記録として残すのには最適かもしれませんが、CDで音楽を楽しみ尽くすことは難しいなと思います。
もちろん三味線に限らずでしょうが、楽器は演奏者が弾いている姿込みで魅力的に映るものだと思います。
生演奏の力強さ、そして吸引力の強さは計り知れません。
例えば特に好きでもないアーティストのライブを見に行ったら、思いのほか良くて…そのままファンになっちゃった!ということは、よく聞く話だと思います。それも、きっと似たような心の働きがあるのだと思います。
三味線を始め伝統的な楽器は、着物という衣装も手伝い、なおさら弾く姿が絵になるわけです。
お手軽だからといって、伝統音楽を映像やCDで見聞きしても「ふーん…なんか難しそう!」で終わってしまうかもしれません。(もちろん映像で伝えることのできる良さもあるとは思います!)
現代は何でも「視聴」「試写」が出来る便利な時代です。ちょっと興味持っても、すぐにそれに触れることが出来るようになっています。
でもそれって、手袋をした状態で見えない物を触るみたいな感じで…「分かるけど分からない」状態じゃないかなと思います。
視覚と聴覚に薄〜い膜が一枚あるような感じ。
本当はそこを取っ払って見てもらわないといけないんでしょうけれど、タイミングもあるでしょうし、もっと人前で見てもらう機会を作れたら良いなと日々思っています。
録音機能のない時代のお稽古はもちろんその場限りだから、日によって、演者の体調によってちょっとずつ変わっていたんじゃないでしょうか。人の記憶も完璧ではないから、先生といえども間違えもしたと思いますし、それがまた人伝いに間違ったりして、でもその間違いが案外いい音に聞こえたり…。
「コレが良かったから、完璧な姿で残そう!」っていうのは、もう録音機能が出来上がった後の人の感性だと思うんですよね。
本日も演奏のお仕事を頂いているので、港で弾いてきます。