長く続けることが偉いなら、苦しまずに長く続けたい【三味線寄稿記事18】
Web集客コンサルティングのninoyaさんの片隅で、1コーナー設けて頂いております。
三味線のことについて、思うことや実体験を通しての記事を寄稿しております。
今回は女性としての三味線との向き合い方を書いてみました。
前回「三味線を仕事にするって生活成り立つの?」みたいなことを聞かれた話を少し書きました↓が、今回もうちょっと切り込んで話しました。
私は一応10年以上三味線のプロとして活動しているのですが、真面目に「うん、やっぱり私、三味線でやっていこう。」と思ったのは、ほんとーについ最近の事です。
それは、去年アメリカでディズニーで働いている一年間の間でした。
20代の序盤から後半は三味線をやっている自分があまり好きではなく「何のためにやってるんだ?」とか「なんでこんな惨めな思いしてやらなきゃいけないんだ?」などと思っていました。
…もちろんずっとそう思っていたわけではなく、楽しいと感じる事もやりがいを感じる時もありました。ですが、自分を惨めに思う時も何度もありました。
何が私を惨めな思いにさせていたのかといえば、他人と比べたり、自分で自分を認めようと思っていてもそれが出来ず、ダメ出しばかりされて卑屈になってしまう自分が嫌いだったのだと思います。
コラム中でも書いているように、伝統芸能の世界はまだまだ男性優位です。だからと言って、その状態を男女平等にせよと思うわけでもない。私はその伝統芸能や三味線の持つ組織の独特な空気が耐えられませんでした。
アメリカにいると、そういう人間関係ともしがらみとも物理的に距離が離れました。
アメリカの生活に少し慣れた頃、気がつけば今まで積み上げてきた事が私の隣に佇んでいました。それを武器に、何度アメリカで楽しくも貴重な経験ができたか。その経験一つ一つは、大した実績ではありません。ですが、自分自身で決断し、行動した事を考慮に入れると、何物にも代え難い実績です。
帰国後は本当に自分が思うように、悪く言えば勝手に、図々しく、今までの私なら考えもしなかった事も思いつき、行動に移すようになっていました。
新しい事に挑戦できる事は楽しく、普段使わない頭の部分がせっせと動いている様子を自分でも感じます。例えば夕暮れの車内で、演奏の仕事の帰りに、何度も「こういうアイデアはどうだろう?」とか「これは面白いかも?」と考えます。それが何と楽しいか。そしてそれを自分自身が否定せず、実現できるかもしれないと思うことが、どれだけ私を前向きにさせてくれるか。
もちろん新しい事をする折には何かと勉強不足な面にぶつかる事も多くありますが、それは今また再び学びなおせばよいだけなのでは?とも前向きに考えられる自分がいます。
三味線はいつかは辞めるものだと思っていましたが、今こうやって三味線と適度な距離を持って接していると、長く続けることも決して悪くなく、むしろ新しい可能性を広げてくれる一つのツールになると感じています。