三味線の登場でグッと幅が広がった日本の舞台芸術
こんにちは、花枝です。
3回に分けて三味線のルーツと歴史を書いてきました。
今回は日本に渡った三味線が日本の舞台芸術を支えるまでのお話です。
<2017年3月28日に更新しました>
三味線の歴史の記事
三味線にも大きさの違いが生まれるようになった
さて、大阪に三線が渡り、約30年の年月を経て改良された三味線は全国に広がるようになります。
この改良の何十年かで、大量生産のノウハウも出来上がったのでしょうね。
最初の頃の三味線は民謡や流行歌の伴奏などに用いられますが、そのうち江戸文化との相性も良さそうだ…ということから、浄瑠璃や歌舞伎などにも用いられるようになります。
ここで、浄瑠璃とは…?
浄瑠璃(じょうるり)とは、物語を独特の節回しで語る芸能のことです。
朗読とは一味違い、歌ともまた違う…
踊らない和製ミュージカル、またはオペラのようなものと思っていただければイメージが湧きやすいのではないかなと思います。
当初は扇拍子といって、閉じた扇で手のひらや板の上を叩いて拍子を取り、それに琵琶の伴奏をつけて演じていたそうです。
それが三味線の登場により、徐々に三味線の伴奏で演じられるようになっていきました。
浄瑠璃の進科系、和製パペット「人形浄瑠璃」
浄瑠璃は人間だけが演じるだけにとどまらず、人形を用いた「人形浄瑠璃」が生まれました。これは言ってみれば日本最古の「人形劇」です。パペット・ショーですね。
このことから、人形浄瑠璃に三味線はなくてはならないものとなっていきました。
そして、お馴染み「歌舞伎」の伴奏でも使われるように!
歌舞伎は最初は「遊女歌舞伎」と呼ばれる、女性ばかりの演目でした。宝塚のようですね。
…ですが、色っぽすぎて風紀を乱す!…ということで残念ながら幕府から禁止されてしまいます。このあたりは詳しくは色々あるのですが、割愛します。
色々ありまして、歌舞伎は野郎歌舞伎(そのまんまですが、男ばかりの歌舞伎です)となり、今日まで伝わっています。
歌舞伎の発展とともに三味線も細かくジャンル分けされていきます。
「長唄」「清元」「常磐津」…一見すると、「これ、なんて読むの?」と言われてしまいそうな、日常生活には馴染みのない漢字ばかりが並びます。
そのジャンル分けこそ、三味線がさらに細分化されるきっかけとなっていったのです!
ジャンル分けから見る三味線の細分化
三味線の音楽を大きく分けると
- 語りもの
- 唄いもの
の二つにしかなりません。ここからさらに細分化されますが、大きな分類はこの2つと覚えて良いでしょう。
そして、三味線の種類は
- 太棹
- 中棹
- 細棹
の3つに大きく分かれます。
これは読んで字のごとく、大きさが少しずつ違っています。太棹は大きく、細棹は棹が細く作られています。
基本的に「語りもの」は太棹か、中棹を用います。
「唄いもの」は中棹か細棹を用います。
全国どこにでもある民謡は「唄いもの」に分類される
全国どこにいってもある民謡…そう、例えば「草津節」だったり「よさこい節」だったり、「炭坑節」などの民謡は上記の分類では「唄いもの」に分けられます。
これらの民謡の伴奏で三味線を用いる時、三味線は「細棹」か「中棹」を使います。
ですので、全国的に広く三味線として使われているものは「中棹」か「細棹」になります。
皆さんご存知の「津軽三味線」だけは例外!!!
ですが!ここに例外が一つ!!!!
高橋竹山と吉田兄弟のおかげで、「三味線といえば、津軽三味線!」というイメージがすっかり日本中に定着してしまいました。
まず知って欲しいのは、「津軽三味線」という三味線はありません!津軽三味線は部類としては民謡で「唄いもの」に分けられます。
ですが、津軽三味線だけは細棹や中棹を用いず、太棹を使うのです。
なぜ?!なぜ津軽三味線だけは独自のルールで太棹を使うのでしょうか…??!!
その続きは↓こちらでどうぞ…