弟子入り時代にアルバイトしてたら師匠に怒られた話
こんにちは、花枝です。
今日は今からおよそ10年ほど前を振り返って、弟子入り時代の話をしようと思います。
当時18歳だった私は故郷を離れ、ある三味線のお師匠様の元へ弟子入りしました。
その時、両親からの仕送りもありましたが、それで不足した分はアルバイトで賄おうと思い、お師匠様にアルバイトをしてもよいかとお聞きしました。
そうすると、お師匠様は怒り出してしまったのです…。
- 生涯を三味線に捧げた大阪のお師匠様
- 「アルバイトしよう」と思ったきっかけ
- …でも結局アルバイトした私
- 今になって思うアルバイトの価値
- アルバイトをすることで失われる価値
- お師匠様の言っていたことが10年越しによく分かった
生涯を三味線に捧げた大阪のお師匠様
私は今から約10年ほど前、住み慣れた故郷を離れ、大阪で弟子入り生活を送っていました。
その当時お世話になっていた大阪のお師匠様は男性の方で、歌舞伎の地方(バックで演奏している方々のことですね。)では、歌舞伎ファンなら誰もが知る歌舞伎役者の方のお抱え演奏者であり、重要無形文化財保持者でした。まさに、生涯を三味線に捧げた方でした。
当時の大阪のお師匠様のエピソードを振り返る話はこちらにも記載しましたが、
口数の少ないお師匠様だったのであります。
学生時代をかなりちゃらんぽらんに過ごした私は、弟子入り生活の厳しさをひしひしと感じていました。
とはいえ、私の弟子入りは完璧に衣食住すべてお師匠様と一緒…というわけではなく、半弟子入りのような形でした。
普通は弟子入りというと、師匠の家に住み込みで稽古をするのですが、お師匠様の自宅の環境のこともあり、私はお師匠様宅の近所にアパートを借り、日々お稽古に通うという形を取らせてもらっていました。
「アルバイトしよう」と思ったきっかけ
私は両親から食費の仕送りももらっていましたが、大阪で生活するには少し足りない…と思うところもあり、アルバイトをすることにしました。
そこで、お師匠様に
「先生、アルバイトをしたいのですが…。」
と話してみたのです。
すると、お師匠様は烈火のごとく怒り出しました。
「お前何しに大阪まで来たんや?
アルバイトするために大阪来たんか?」
…これにはなんの反論もできず、その日は考え込みながら帰路につきました。
…でも結局アルバイトした私
とはいえ、やはり生活費に余裕が欲しかったので、許可をいただいてアルバイトをすることになりました。
今思えば”三味線以外の誰かと関わりたい…”という気持ちもあったのだと思います。
その時にしていたアルバイトは、近所の飲食店で働いたりもしていたのですが、どうしてもやってみたいアルバイトがあり、それにも挑戦したことがありました。
それは、ライブハウスのバイトでした。
当時私は三味線の世界に弟子入りしているのに、ロックやパンクが好きでした。日本のインディーズバンドのCDもよく聞いていたりして、好きが高じて大阪の小さなライブハウスでアルバイトをしたこともあります。
(ちなみにそこのライブハウスはもう潰れてしまったのですが…。)
今になって思うアルバイトの価値
あの時お師匠様が烈火のごとく起こった理由は、その当時の私にも分かりました。
ですが、それは「理屈ではわかるけど、それでもバイトしたいよ。」という私の感情的な気持ちを説き伏せるほどの納得は出来なかったのだと思います。
ただ、今になって、もしあの時の自分や、学生時代をアルバイトだけで過ごしている方がいたら…こう伝えたいです。
「あなたはアルバイトをすることによって、2つのものを失っています。」
と。
アルバイトをすることで失われる価値
アルバイトは早い話が”自分の時間をお金に換算する”ことです。
ただ、これだけではないと気づいたのは最近になってからだったのですね。
まず、アルバイトによって失われるのは下記の2つと私は考えます。
- ”健康な”自分の時間
- その時間を使って学べたであろう可能性
1、自分の健康な時間
これはもう読んで字のごとくなのですが…。
体調が悪い時には働けませんから、その時の自分の健康な時間をお金に換算しているわけです。
アルバイトは誰にでもできる、その仕事の中でも特に”面白みに欠ける”部分じゃないかと思います。とはいえ、考えようによっては面白いと感じられるのももちろんあります。
その時間をお金に変えるために、見えない対価を払っています。売ったのは自分の時間だけじゃなく、自分が健康である時間なのだなと、おばさんになった今ひしひしと感じています。
2、その時間を使って学べたであろう可能性
これはちょっと、分かりにくいうえに万人に当てはまらないかもしれませんが、その時間を使えば自分の中に何かしらの知識や学びが蓄えられたであろう可能性です。
アルバイトをするとどうしてもその時に取り組んでいる仕事で手一杯になります。
もしアルバイトをしていなければ、当然お金は入りません。ですが、その3時間、5時間で学べたかもしれない…その可能性があったかもしれないことも、たったの時給何百円に換算してしまうことなんじゃないのかな…と思います。
これは目に見えないぶん、しかも自分で深く理解していなぶん、損失はかなり大きかったと思います。
可能性なんて目に見えないし、その時打ち込んでいるものがなければそりゃ時間をお金に変えたほうが手っ取り早いし、”時給”として自分の蓄えになるから飛びつきたくもなります。
学べたかも…とか、可能性があったかも…というと、なんだか今流行りの「タラレバ」みたいですが。
学べたかもしれないその可能性も含めて、時給に換算して自分の時間を売っていたのだと思います。
お師匠様の言っていたことが10年越しによく分かった
「おいおい、今更気づいたんか!」
…と、あの世のお師匠様からまたしても烈火のごとく叱られそうです。
アルバイトが無駄とは思いません。
私もライブハウスでバイトしていた時のことがあるからこそ、幅広い話ができることもあるのです。三味線の世界の人間関係だけに浸からなかったからこそ、歩んでいる今の人生があると思います。
ですが、私がもしお師匠様のように若い弟子に教える時…若い弟子がその時間を無駄に消費しようとしていた時には、感情的にならずきちんと自分が身をもって理解したこのことを伝えたいと思います。