三弦が沖縄に渡り三線ができるまで【三味線の歴史2】
こんにちは、花枝です。
今回も三味線の楽器そのものの歴史について書いていきます。
前回は中国の三弦(サンシェン)が貿易によって沖縄(当時の琉球王国)へ渡るまでのお話でした。
今回は三弦が沖縄に渡り、三線になっていくまでのお話です。
<2017年3月28日に更新しました。>
前回までのお話…中国の三弦が琉球へ!
前回は三味線の原型となった、中国明王朝の楽器「三弦(サンシェン)」を紹介しました。
この三弦が貿易によって琉球に渡っていきます…。
三弦は琉球王朝へわたり変化を遂げる…!
三弦は15世紀頃に貿易によって沖縄(当時の琉球王朝)に渡ります。
三弦はもともと中国福建省が発祥の地と言われています。
南方でよく使われていた短い棹の三弦を「小三弦」と呼んでいましたので、おそらく小三弦が琉球に渡ったと思われます。
(小三弦は長さ95センチほどです。)
三線になると棹はさらに短くなります。
三線の長さは天神(てんじん)から中子先(なかごさき)までの長さが80センチほど。
頭からお尻まで、全長80センチのコンパクトな楽器へと変貌していきました。
演奏は撥を使わず、指先につけた「ツメ」とよばれるもので演奏します。
この「ツメ」は水牛の角を削って作られるそうです。
三線の演奏動画
それでは、三線の音を聞いてみましょう!
大変有名な動画ですが、BEGINの「三線の花」です。
演奏の姿を三弦と比べてみても、少し棹の高さが低く構えられていたりと違いが見えますね。
大浪淘沙 三弦独奏 changqing sanxian solo
<三弦の動画と比べてみると違いがわかりやすいですね!>
そして、最近の曲で三線といえば…
「海の声」で有名になりました。
座って弾いてもよし、立って弾いてもよし…楽器がコンパクトなのでどちらでも姿が決まるのは良いですよね!
三弦の演奏方法とは少し異なり単音で演奏することが多いので、初心者でも演奏しやすいのが広く受け入れられているポイントでしょうか。
三線が日本本土へ渡る
その三線は更に貿易によって、当時最も貿易港として栄えた堺(大阪)へ渡ることになります。一説では九州にも渡ったと言われています。
大阪の堺へ三味線が渡ったのが1562年ごろと言われていますので、時代は室町時代末期です。
歴史上の出来事では「桶狭間の戦い」の少し後ということになりますね。
三線の形から三味線の形へ
三線に改良を加えたのが琵琶法師でした。日本で三線を作るとなった時、唯一の問題はその特徴的な胴部分の「皮」にあったのです。
三線のアイコンにもなっているほど有名な話で、三線の皮は蛇の皮(ニシキヘビを多用していたそうです)で作られています。
蛇の皮を使うということもあり、「蛇皮線(じゃびせん)」という名称も非常に有名なのですが、これは沖縄では使わない名称だそうです。
さて、次回はその三線が三味線の形に変わるまでのお話です…。
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