いの町にある古民家・琴風亭の歴史
こんにちは、花枝です。
先日、自主企画イベント「小唄らぼ」にて会場として使いました琴風亭(きんぷうてい)。
とても風情があって素敵な建物なのですが、建物についての詳細は周辺にも案内がなく知らない方も多いようです。
今回は、琴風亭の歴史を紹介いたします。
- いの町役場のすぐに近くにある琴風亭
- まずは話を聞きに役場総務課へ
- 総務課からのお返事がきました
- 建築年は古く、明治時代に遡る
- 歴史の流れの中で姿を変えていった琴風亭
- 役場職員さんが住まれていた歴史
- 実際に琴風亭を使ってみて…
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いの町役場のすぐに近くにある琴風亭
いの町役場のすぐ近く、琴平神社(ことひらじんじゃ)へ上がる石段の中腹部に琴風亭はあります。
この石段が結構きついのです…。
琴風亭についてはなかなかウェブ上では情報が少ないのですが
こちらのサイトには割と詳しく、内装の写真まで載っていました。
ですが、イベントで建物の紹介もしたいと思い、今一度役場の職員さんに詳しい歴史を聞いてみることにしました。
まずは話を聞きに役場総務課へ
今回のお話を伺いましたのは、いの町役場の総務課の職員さん。
管轄も総務課ですので、かなり期待できそうです。
最初は
- 日本紙業の保養所だった
- 役場の職員さんが住んでいたこともある
といった情報を教えていただくことができました。
ですが、詳しく調べて後日連絡をいただけることとなり、この日は役場を後にしました。
総務課からのお返事がきました
と、3日ほどして役場の担当の方からご丁寧なメールを頂戴いたしました。
どうやら、実際に琴風亭に住まれていた方からも情報を集めてくださったそうで、丁寧な対応が本当にありがたかったです。
建築年は古く、明治時代に遡る
・建築年は明治39年6月10日(登記簿で確認)
・いの町への寄付は昭和13年9月23日(登記簿で確認)
かなり古い建物だとは思っていましたが、明治時代だったとは驚きました。
明治39年というと、日露戦争勃発やポーツマス条約のちょっと後ぐらいです。
いの町への寄付も昭和13年と、戦時中です。昭和12年に盧溝橋事件がありましたね。かなり時代を感じます…!
歴史の流れの中で姿を変えていった琴風亭
琴風亭は、日本紙業が接待や商談のため建築しました。
当時は風呂や現在の建物のほかに6畳の客間が別棟であり、接待の際には宿泊施設としても使用していたようです。
上記の写真の部分が明治時代に建築された部分で、それ以外の場所は昭和に入ってからの増築部分になります。
役場職員さんが住まれていた歴史
いの町に移管後、昭和37年頃から昭和52~53年頃までIさんご家族(役場職員)がお住まいになっていたそうです。
Iさんの前には、Aさんという土佐市から通勤していた役場の税務課職員さんが住んでいたそうです。
最初に住まれていたAさんが住み始めた時期は分かりませんが、施設の維持管理のためだったようです。Iさんもよく草刈り等をしていたそうです。
Iさんが住んでいた頃は、トイレやお風呂と井戸が外にあったそうですので、改築しています。現在の琴風亭の玄関からトイレ、台所付近が増築部分で、部屋部分については当時のままだそうです。
(上記までのお話は、役場職員さんが昭和32〜53年まで琴風亭に住まれていたIさんにお話を伺ってくださった内容です)
Iさんが出られてからは、新町地区の集会所として使用され、その後花見に貸し出すなど現在のような管理になったとのことです。
=ここまでが、役場職員さんに教えていただいた内容です。=
実際に琴風亭を使ってみて…
話を聞けば聞くほど、長い歴史を重ねてきた建物なのだということが分かりました。
実際に今回イベントで使ったり、三味線教室のお花見に使ったりしてみての感想なのですが、来られた方からの評価はとっても良かったです!
ただ、やはり建物がかなり年季が入っているので、襖や障子が破れていたり、一部ガラスが割れていたり、隙間があって落ち葉が入り込んでいたり…。
前日にはかなり掃除をしました。
定期的に誰かが使っていればまだ清潔なのでしょうが、やはり使う人も少ないらしく…。せっかくのいいスポットなので、これからも折に触れて使っていきたいと思います。
そして、使うときにはマメに掃除もして、少しでもいい状態にしていければなと思いました。
いの町に来られることがあれば、ぜひ琴風亭へお立ち寄りください。
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*琴風亭でのイベント「小唄らぼ」