新聞やメディアに取材していただいて思うこと・感じること
こんにちは、花枝です。
備忘録がてらつらつらと。
ちょっと前のことですが、2018年秋に読売新聞と高知新聞に立て続けに記事を掲載していただきました。
ラジオのインタビューもありました。
そして、年明けてから2019年の2月にもまた地元広報誌にインタビューを掲載していただけることになりまして、1時間半ぐらい担当の方と話させて頂きました。
短期間でここまでたくさん取材していただいた経験は初めてのことで、いつもしどろもどろになりながら話しております。
今回は、取材していただいた中で感じたことをつらつら書いていきます。つらつらなので、意味が通じないところもあるかもしれません。
三味線人生が始まったのが14歳(中学二年生)の時で、気がつけば20年近く三味線に関わってきました。
密度でいえば断然18〜21歳の弟子入り時代が三味線に触れていた密度が高かったと思います。ですが、三味線の世界に馴染めなかったり若い故の心の不安定さに頭をたくさん悩ませていたことも多々ありました。
約20年間の三味線と関わった年数の中で
「私はやっぱり三味線向いてないんじゃないかな?」
と思ったり、様々な事情で三味線を続けることを諦めようと思ったりしたこともありました。自分には違う道があるのではないかと思うこともありました。
三味線は好きだけれども、人間関係が難しく感じたり、そういった人間関係に上手く馴染めない自分自身が嫌になることもありました。
三味線や邦楽に限らず、音楽の世界で身を立てていくことは本当に大変なことです。
20代前半の頃の私は”三味線で身を立てるぞ!”という強い意気込みはなく、どこか最初から
「三味線ってやっぱりマイナーだし、それを仕事にするなんて自分にできないんじゃないか?」
と考えていたと思います。それは諦めというよりかは、それができなかったときの「言い訳」を探しているようなところがありました。
そんな中、大きなキャリア転向(という言い方が正解かは分かりませんが、一番しっくりくるかも)だったのが、CRプログラムを使ってアメリカのディズニーで働いたことでした。
アメリカのディズニーで働いた1年間はとても充実していました。
仕事の内容は三味線ではなく、”寿司職人としてお寿司をゲストに提供する”ことだったのですが、仕事も楽しかったですし、何より三味線を通じての交流が持てたことも大きかったと思います。
現地で三味線教室を開催したり、タレントショーに出演したり、日系企業スポンサーのお祭りで日本舞踊やお琴との合奏で三味線を弾いたり…。
異国の地で三味線の演奏を通じて活動ができたことや、現地の人たちと交流できたことは私にとってとても感動的な経験でした。
それまでの私は、三味線を続けている自分をどこか”格好悪い”と思っているところがありました。
でもそれを掘り下げると、私は「本当に自分に自信がなかった」のだと思います。三味線にきちんと向き合えなかったから、向き合えない自分が”格好悪”かったんです。
渡米までの私は自分を抑圧していたり、必要以上に自分を追い込んだり、
「こうあらねばならぬ!」
という凝り固まった考えに縛られていたんだなということにも気づかされました。そういった事も、自信のなさの裏返しだったんだと思います。
帰国後はようやく、渡米中の経験も通じて
「三味線を続けていることを恥じる必要はないのだ。」
「自分はこのままでいいのだ。」
と自分で自分を認められるようになっていったと思います。年齢は関係ないと思いたいですが、30歳を迎えたと言うのも大きかったからかもしれません。
帰国後は勢いだけで営業をかけたりもしましたが、たまたまタイミングが良くお仕事をいただける機会も増えました。
インタビューを受けているときは、ほとんどの場合ですがインタビュアーの方は初めて私にインタビューをしています。
ですので、私は自分自身の三味線ライフを一から話していくのですが、振り返ってみても私はかなり紆余曲折だったと思います。たくさんの人と出会い、迷惑をかけ、傷ついてきたけど誰かを傷つけてもきましたし今も傷つけてるかもしれません。それでも、挑戦して、失敗して、泣いて、悩んで、でも立ち上がって…。
…でも、そういった紆余曲折なことは誰もが経験することであり、決して決して特別なことではないのだと思います。生きていれば色々あります。
紆余曲折あるけれど、何より幸せなことは自分自身は今も「三味線を続けられている」ということ。「三味線を通じて様々な経験ができている」ということ。
そして、三味線を通じてたくさんの人と関われていることは、何にも勝る喜びだと感じています。
…「なんで今これを書いているんだろう?」
と思ったのですが…
今月は今までになかった、新しいことに挑戦する機会に恵まれたからではないかと考えています。先日開催した自主企画イベント「小唄らぼ」もその一つです。
三味線との向き合い方が、また少し変化しつつあるようにも感じています。
もちろんそれは悪い意味ではなく、いい方向に変わっているように感じているからこそ今書きたかったことだと思います。
心境のことを書いた備忘録でした。